2023.4.28
銭湯界新旧レジェンド対談。サウナの梅湯のなかには、錦湯が息づいているらしい
噂の広まり
昨年6月、惜しまれながら約90年の歴史に幕を閉じた、京都の名物銭湯・錦湯(にしきゆ)。錦市場の近くに建つレトロな姿もさることながら、店主の長谷川泰雄さんは、定休日には銭湯を「劇場」として開放し、音楽ライブや落語会など数々のイベントを企画・実施。「銭湯プロデュース」の草分け的存在として、長年話題を提供し続けてきた。
一方、サウナの梅湯は2015年に湊三次郎さんが24歳の若さで廃業寸前のところを継業し、経営を立て直しただけではなく、現在までに湊さん率いるゆとなみ社は、京都、滋賀、大阪、愛知の6軒の銭湯を継業。なかでも梅湯は、オリジナルグッズの販売や定期的なイベントを実施し、今では全国からたくさんのお客さんが訪れる観光スポットになっている。
長谷川さんの錦湯と湊さんが経営する梅湯が、歴史上重なっているのはわずか7年という期間だが、湊さんは学生時代から10数年にわたり錦湯に通い、そのなかで錦湯から多くの影響を受け、今もそれらは有形無形に活かされているという。
今回、錦湯に約20年間通い、湊さんの学生時代から親交のあるライターの林宏樹が、“銭湯界新旧レジェンド”であるふたりの対談を通して、その関係をひも解き、錦湯が京都の街や人に与えた影響や、錦湯とはどんな存在だったのかを、2人のナマの声から考察します。
長谷川 泰雄(はせがわ・やすお)(写真左)
1947年京都市生まれ。昨年惜しまれつつ閉業した錦湯の店主。錦湯を建てた祖父は、錦市場で八百屋を経営。錦湯は当初は人に貸して営業していたが、戦中頃から長谷川家自身で営業するようになった。
湊 三次郎(みなと・さんじろう)(写真右)
1990年浜松市生まれ。銭湯継業集団のゆとなみ社代表、銭湯活動家。サウナの梅湯を皮切りに、現在までに6軒の銭湯を継業したほか、東京の1軒では銭湯運営のコンサルティングも手がける。
長谷川さん「若い子にいつも言うのは、“失敗してもいいし、やりたいことをやった方がいいよ”ということ」
― 長谷川さんは、湊くんのことを学生時代からご存知でしたよね。
長谷川さん:もちろん知ってたよ。京都外大で銭湯サークルをつくってたな。銭湯の展示を企画したり、何に関しても熱い子やなぁと思って見てたわ。
― 湊くんから長谷川さんは、どのように映っていましたか?
湊さん:いろいろな銭湯を巡っているなかで、明らかに銭湯界の人として異質な存在だなと思っていました。キャラクターもそうですし、考えていることが普通のお風呂屋さんとはちょっと違うなと。僕自身、学生時代に古道具屋や古着屋などで、おもしろい魅力的な店主に何人も出会いました。長谷川さんは、たまたま銭湯の店主ですけど、銭湯っていう括りは関係なしに、ほかの個人店の店主同様に惹かれる部分がありましたね。
― 梅湯を継業するにあたって、長谷川さんにはアドバイスをもらいに行きましたか?
湊さん:梅湯をやること自体はパッと決めちゃったんですけど、好きと実際にやるというのは違うので、組合のこととか、ほかにもいろいろ銭湯をやっていく上で必要なことは教えてもらいました。すごく応援してくださったのは、よく覚えてます。
長谷川さん:僕はその時、ダメやったらすぐに撤退せなあかんでって言うたんや。梅湯を継ぐのに、お父さんからお金借りてはじめてたからな。銭湯って仕事自体も大変やし、あかんかったらすぐに違う方向にいかんと、ズルズルと沼にはまってしまうから。
僕はなんでもやってみたらいいっていうタイプやから、若い子にいつも言うのは、「失敗してもいいし、やりたいことをやった方がいいよ」ということ。いろいろ考えすぎたらマイナスなことをいっぱい拾ってきてしまって、一歩を踏み出せへんようになるやん。まず一歩踏み出して、問題が起こったら一つひとつ解決していったらええんやから。そうせんと、なんにもできひんしな。
人生ってチャレンジやからね。生まれて来たからには、楽しいことをいっぱいしないともったいない。やっていくうちに、いろんな人との付き合いが広がったり、人生が開けていく。なにもアクションしなかったら、なにも起こらないからね。
― 錦湯は長谷川さんがワンオペで営業するというめずらしい銭湯でしたが、湊くんは梅湯をひとりではじめる際に参考にした部分はありますか?
湊さん:錦湯の存在が励みになりましたね。梅湯をはじめる時に、いろんなお風呂屋さんから「嫁さんや家族がいなかったら、風呂屋は絶対に無理」ってさんざん言われましたけど、長谷川さんは実際ひとりでやってるしなぁとは思っていました。
でも、実際にひとりでやりだしてみるとめちゃくちゃしんどくて。閉店後にひとりで風呂掃除をしている時とかに「あぁ、今ごろ長谷川さんも錦湯で作業しているんだろうな」とか、仲の良い銭湯の人たちのことを思い浮かべながらやっていました。
長谷川さん:僕は北山に住みながら錦湯に通っていたけど、なぜそういう風にしたかというと、僕の嫁がサラリーマンの家庭で育ったから。自営業の奥さんって、お客さんに対しても、近所付き合いにしても大変なんよ。特に嫁は東京の出身で言葉も違うしね。近くに住んだら、どうしても手伝わないとあかんし。昔から、京都の中心である中京(なかぎょう)の商売人のところには大変やから嫁に行くなって言われている。北山から錦湯に通ったら、普通のサラリーマンと変わらへんから、その方が僕はいいかなと思ってそうしてたんやわ。
湊さん「長谷川イズムを感じに錦湯へ。錦湯の空間も含めて長谷川さん」
― 湊くんはちょくちょく錦湯に顔を出していましたが、なにか相談をしに行くことが多かった?
湊さん:特段相談ごとがあったわけではないですけど、長谷川さんらしさを感じたいっていうのはありましたね。錦湯イズム、長谷川イズムを感じに行ってたというか。そこから何を吸収して、何をアウトプットしてきたかと言われるとうまく言えないですけど、なにかを感じたくて通っていましたね。
― 特に、錦湯イズム、長谷川イズムを感じるところって、どういう部分でしょうか?
湊さん:お客さんとの交流を見ていると、長谷川さんはリーダーシップを発揮してグイグイお客さんを束ねていくタイプではないんですけど、絶妙なバランス感覚で一体感を出していくんですよね。そこは、いつもすごいなって思ってました。
僕のなかでは、長谷川さんと錦湯の姿が一体化していて。長谷川さんの身体だけじゃなくて、錦湯の空間も含めて長谷川さんっていう感じですね。本が積んであったり、ジャズが流れていたり、そういうものすべてに長谷川さんらしさを感じていました。
長谷川さん:錦湯は公衆浴場やからね、公衆の場として考えていたんやわ。いろんな人を受け入れてあげる、僕が触媒となってうまく人をつなげてあげるとかね。
若い時は、定休日に脱衣場で麻雀大会をしたり、常連とか近所の人を呼んで、鍋もよくしたなぁ。それで仲良くなって、ひとつのコミュニティができたわけや。
麻雀大会は24人ぐらい集めて、みんなに麻雀ネームをつけるわけ。たとえば魚屋やったら「サシミメーカー」とか。それで成績表を貼りだして、商品とか大きいトロフィーも準備する。なんでもそうやけど、僕の考え方は、とことんやらないとおもしろくない。中途半端にするんやったらやめた方がいい。特に楽しいことは、自分のできる範囲でいいから精一杯やる。そうしたらやっぱり盛り上がるやん。
― おもしろいアイデアって、どうやって湧いてくるんですか?
長谷川さん:僕は思いついたらすぐにやるからな。時間を置いたらエネルギーが減っていくやろ。だから、人に頼む時も思いついたらなるべくすぐに連絡するんやわ。1日経ってから電話するのと、その時にパッと電話するのとでは全然違う。人間って、賢い人ほど考えすぎて言葉がもどかしくなるねん。だからなんでも早くしなさいって、僕は言う。あかんかったらあかんで、それでいいやん。
― 湊くんもパッと動く方?それとも考え込む方?
湊さん:うーん、ものにもよりますね。ただけっこう衝動的に動くタイプではあると思うので、そこは長谷川さんと近しさを感じますね。
湊さん「自分の店でやるイベントは、自分たちが楽しいかどうかが一番大事」
― 長谷川さんは錦湯でイベントをたくさん実施されてきましたが、お風呂の集客とイベントをつなげて考えておられたのでしょうか?
長谷川さん:若い子ってお風呂屋さんへ行ったことすらない子も多い。それは敷居が高いからで、ライブとかイベントで敷居を低くするわけ。もちろんお風呂に入りに来て欲しいというのもあるけど、それよりも最初はお風呂屋さんの建物に入ってもらって、こういうところかっていうのを分かってもらうことが大事かなと思ってやってたんや。風呂屋というのは、こんなもんやでというのを教えたいというのがあったしね。
― 湊くんも、サウナの梅湯や系列店でライブやイベントを行っていますが、どのような部分に目的を置いていますか?
湊さん:うーん、やはり自分たちが楽しいかどうかっていうのが、一番ですかね。
長谷川さん:そうそう、それが大事やねん。自分が楽しまないと、続けられへんし。
湊さん:結局、銭湯の集客につなげようと戦略的にすると、思ったようにいかないと思うんですよね。イベントをやる意味としては、まず自分がそのイベントをやってみたいとか、おもしろそうかとか、そういう部分ですね。たまに持ち込み企画をいただいたりもするんですけど、内容によっては断っています。自分たちがそれに乗れるかというところが重要な部分なので、店の認知や新規の入浴客につなげるというのは、優先度としては低いです。まずは、自分たちが楽しくやれるかということですね。
― 先日、湊くんの自主企画が源湯で開催されましたね。
湊さん:「無責任相談会」っていう、大学の進路相談会や企業説明会では絶対に出会えない、就活からは脱線した大人たちが進路相談員になるという企画です。
僕が学生だったころ、錦湯もそうですし、古着屋さんとかいろいろなところに入り浸って、いろんな生き方をしている大人たちから学んだことって、今にすごく活きているんですよね。そんな影響を受けた古着屋さんや古道具屋さんの店主って、当時ちょうど今の僕の歳と同じぐらいだったんですよ。自分ももうそれぐらいの歳になって、なにかしらの影響力があるだろうし、些細なひとことでもその子のプラスになればいいなっていうところから、ずっと企画を温めていました。
長谷川さん:銭湯ってもともとそういうところなんやわ。年寄りから若い人までが集まって、自分の家族じゃない他人としゃべるっていうことが大事なんや。いろんな経験が知れるやろ。そこでマナーも教えられるし、社会性も身についていくんや。
湊さん:今の学生を見ていると、コロナで学校にすら行けず、そういう大人に出会う機会がないまま、就活にのみこまれていて、めちゃくちゃまずいなって思ったんですよね。一番多感な時期にいろんな大人に出会って、自分の適性とか、これからの人生を考えなきゃいけないのに、考えるきっかけすらないまま就活していて大丈夫なのって。病んじゃう子もすごく多いし、そりゃ病むだろうとも思いますね。本来は街に出て、いろんな大人に出会えばいいだけのことなんで、わざわざ場を設けてする必要はないと思うんですけど、コロナ禍でより意義が増したんで、やろうかなと思いました。
― 自分が経験したことを、今の学生にも体験してもらいたいってこと?
湊さん:というか、就職説明会や企業訪問で出会えないような大人に出会えるから、京都で学生生活を送る意味があるって思うんですよね。そういう大人に影響を受けて卒業後も京都に残る人もいるし、自分もそういう大人になっちゃいましたし。京都ってそういう街だと思うんですよね。
長谷川さん:京都ってよそから来たら、最初はとっつきが悪いけど、誠実にやって一旦信頼を得たらめちゃくちゃ親しくなる。そうやと思うわ。
― 銭湯って街を映す存在だと思うのですが、長谷川さんは錦湯にいながら街の変化は感じておられましたか?
長谷川さん:だいたいもう錦湯界隈は、御池から五条通まで銭湯がないからな。昔は路地に風呂のない家がたくさん残ってたけど、その路地がどんどん無くなってるやんか。もう地元の人だけ相手にしてお風呂屋さんをやろうと思っても無理なんや。それに銭湯は敷地が広いから、固定資産税も高い。うちが残ってたのは、観光客と外国人、それとリピーターで遠くから来てくれていた人のおかげ。近所の人は本当に減ったなぁ。錦市場も昔はみんな店の上に住んだはったけど、今はサラリーマン化して、通いの人がほとんどやしな。
― 湊くんは当初から集客の秘訣として「マスコミに出まくること」を挙げていましたけど、マスコミを上手に利用するところは、錦湯と共通してますね。
長谷川さん:湊くんには、「絶対にマスコミは断ったらあかんぞ」って言うてたんやわ。
湊さん:はい、その部分は長谷川さんの教えです。
長谷川さん:僕はイベントとかなんかする時には、新聞社やテレビ局に行ったりしてたよ。そこは自分でやっていかないと。向こうもネタを提供してあげたら喜ばはる部分もあるし、自分から行ってもおかしくない。断られたら断られたで、別にマイナスにはならへんしな。
― そこはまさにプロデュ―サー的ですね。長谷川さんは「風呂デュ―サー」の異名を持っておられましたが、これは誰が言い出したんですか?
長谷川さん:僕が言い出したんやけど(笑)。僕が風呂デュ―サーって言うても、みんなはプロデュ―サーって言うやろ。そしたら、「違う、違う。風呂デュ―サーや」って言い返すね。ちょっとおもしろいやろ。
湊さん「突然、閉店を知ったときは、長谷川さんらしいなとニヤッとした」
― 錦湯が閉店する際、発表が2週間前と突然でした。湊くんは最初に聞いた時、どう思いましたか?
湊さん:突然の発表で驚きはしましたけど、錦湯の設備内容や長谷川さんの年齢のことなどを考えると、あぁそうかという感じでした。それに、発表が閉店の2週間前っていうのは、長谷川さんらしいなと思って、ニヤッとしましたね。
長谷川さん:僕らしいと思ったやろ。早く発表したら人がいっぱい来て大変やから、あっさりと辞めようと思って。僕を知ってる人は、「長谷川さんらしいな」て、みんなそう言うわ。
― 長谷川さんの76歳という年齢は、風呂屋業界ではまだまだ現役の方も多いですが。
長谷川さん:それはみんな家族でやってるからや。僕はひとりで毎日12時間ぐらい働いてたから、なかなか大変やった。コロナの前からもう辞めようかなとは思ってたんや。でも、コロナでみんなしんどい思いをしてる時に、自分だけサッと辞めるのはなんかずるいような気がして。これは僕の考え方やで。だから、ちょっと辞めるのが伸びてしもた。それにある程度若いうちに辞めへんと、いろんなことができひんやんか。
― 湊くんは、どこかの銭湯が辞めると知るとすぐに駆けつけていますが、錦湯に関してもすぐに動きましたよね。
湊さん:はい、閉店の張り紙が貼られて速攻で行きました。長谷川さんから一通り話を聞いて、まだその時点では、あとをどうするかってことは考え中ということでしたけど、自分にやらせて欲しいということは伝えました。長谷川さんが辞めた大きな理由のひとつは、建物の老朽化だったので、もし自分がやるとしても建物は建て替えて、また100年続くような形にしないと難しいだろうなとは思っていました。
― 錦湯が閉まる前後に、湊くんと「錦湯は長谷川さんそのものだから、同じようには継げない」という話をしたのを覚えています。そういうなかで、もし錦湯を継ぐならどのような姿を思い描いていますか。
湊さん:錦湯を継ぐと言っても、長谷川さんの錦湯らしさを引き継ぐという意味では、錦湯に来ていたお客さんもその一部を担っていたわけで、意図的につくれるものじゃないと思うんですよね。時代とともに銭湯も変わっていきますし、人が変われば一時代が終わります。長谷川さんのやっていた錦湯イズム的なものを継承しつつ、違うものに変えていく必要はあると思います。自分でいうのも変ですが、長谷川さんの影響で今やっていることも多いので、それができるのは自分しかいないという思いはあります。
― 長谷川さんも、湊くんがここで風呂屋をやるなら、一般公衆浴場ではなく、ひとり1,000円、2,000円取るような施設にしないと難しいとおっしゃっていましたね。
長谷川さん:どう考えても錦湯の場所で、銭湯経営は難しい。サウナで料金を取るとか、テナントを入れるとかしないと風呂代だけでは難しいと思うよ。
湊さん:もし僕がやるとしたら、現状の錦湯ではキャパが小さいので、男女の浴室を1階と2階に分ける必要はあると思います。建物の高さ制限があるので、銭湯なら3階建てまでになると思うんですが、3階は飲食とか、サウナ施設にするとか、屋上を活用するとか、そんなイメージです。
錦湯に関しては、京都の文化を背負ってきたという歴史もありますし、そこを継ぐことができればプライスレスな部分も大きいと思っています。
100年近く人々の笑い声が染みついた場の力。
銭湯という場が京都の繁華街にあるということ
― 錦市場近くのあの場所に銭湯があるか、ないかの違いについてどう思いますか?
湊さん:絶対にあるとないとでは違うと思いますね。京都の街として考えた時に、日常的に錦湯があそこにあることで、京都に住んでいる人の生活に関わってくるじゃないですか。たとえば、祇園祭の時には、錦湯も特別の暖簾を掛けたりしていましたけど、そこに住んでいる人や利用する人の熱気や生活感が祭りに出ると思うんですよね。それが京都らしさの一部だと思うんで、錦湯があそこにあるかないかは、絶対に違うと思います。
長谷川さん:祇園祭の山鉾巡行が終わったら、鉾に乗ってた人が浴衣のまま風呂に来たり、夜は神輿を担ぐ連中がうちで着替えて出て行ったり、そういうことも京都の伝統で、観光客はそれを見てるだけで「あぁ、京都ってすごいなぁ」って思うわけや。東京の人は「固定資産税の高い、こんな街なかでよくやってますね」ってびっくりしはるけども、なんとか伝統的なことを伝えていきたいと思って頑張ってやってきたというのもある。
辞めるとなってからは、京都市や京都市の文化財の部署とか、建築家とか、それまではなんにも言って来なかったところが、いっぱい声をかけに来たよ。「スポンサーを探して、なんとか残せるようにします」とか言って。そんなんで辞めてから最初の2か月ぐらいは、なんにも手をつけられへんかったわ。
― 長谷川さんは、錦湯の「場の力」ということをよくおっしゃっていました。
長谷川さん:だってあの場所で100年近くいろんな人がしゃべったり、楽しいことがあったり、いろんなことが起こってきたんや。そういう空気感が、あの場所には残ってる。だから無くなると知ると、みんな郷愁を感じるわけや。でも、また新しい場所をつくって100年経ったら、おんなじようになるんやから、変わっていくことも大事やと思うで。
湊さん:僕もそう思います。もし錦湯を新築できるんだったら、現状の外観のイメージは踏襲しながら、新しい部分も加えたいと思っています。最初の2、30年は「変わってしまった」と批判もあるでしょうけど、僕の目指しているところは、100年後にあります。新築からいろんな歴史や空気がどんどん積み重なっていくと、経年変化で染みついたものが出てきますよね。そんな50年、60年経ってようやく出てくるような空気を目指してつくっていきたい。僕はそこに年齢的に立ち会えないかもしれませんけど、それを後世に継いでいってもらえたらいいなと思っているんです。
長谷川さん:そうやって京都の文化も継がれてきたんや。
湊さん:錦湯も長い歴史があって、その最後にちょっと立ち会えたんですけど、またそれを次の100年につくれたらいいなと思っています。
― 湊くんのゆとなみ社では、今年も新たに3軒の銭湯を継業予定だそうですね。
湊さん:下鴨にある鴨川湯はすでに公表しましたが、それ以外にも7月までに近畿圏で2軒を引き継ぐ予定です。
長谷川さん:湊くんみたいな若い子がやってくれるのが、すごい良いこと。それが一番大きい。そうするためにも、若い子を銭湯に呼びたかったんや。
― 長谷川さんは、常に若い子に「おもしろいやん、やったらいいやん」って言い続けておられました。長谷川さんの役目は、背中をドンッと押すっていうことが大きかったように思います。
湊さん:僕も背中を押されたひとりですもん。いろんな業界に長谷川さんに背中を押された人がいると思います。
長谷川さん:若いうちは何でもできるし、したらいいと思うよ。誰か絶対に応援してくれる人が出てくると思う。人生って1回こっきりしかないから、自分の思ったことをやったらええねん。失敗してもそれがあとから思い出になったりするわけ。苦しいのも、それはそれで楽しまんとあかん。苦しいことだけが続くわけやないからね。そこは、楽観的に考えていかなあかんと思うよ。
― 今日は貴重な話をたくさんありがとうございました。
企画編集:光川貴浩、河井冬穂、早志祐美(合同会社バンクトゥ)
写真提供(敬称略):長谷川泰雄、林宏樹
取材場所協力:サウナの梅湯
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