2022.10.31
武田五一を愛する“建築探偵”の推理が、京都のモダン建築の謎を次々に解いているらしい
噂の広まり
「京都で観るべき建築は神社仏閣と町家だけじゃない」というのは、京都を旅した方ならお気づきのはず。街の風景のなかに見つかる、隠しきれない古き良きモダンな表情。そう、京都には明治以降の近代化を象徴するような洋風建築が数多く存在する。2022年11月に開催される「京都モダン建築祭」。憧れの洋館や大学、美術館、一般住宅などの扉が一斉に開かれる、初めてにして待望のイベントだ。
専門家が案内する公式ツアーで歴史や建築を学ぶことを「A面」とするならば、この記事で語られるのはいわば「B面」。超マニアックな視点と偏愛あればこそ生まれる、推理と想像の物語だ。
今回お話をうかがったのは、ツアー案内人のひとり、修復建築家の円満字洋介(えんまんじ・ようすけ)さん。近代建築ヲタクの建築探偵を名乗り、テレビ番組「京都建築探偵団」でも活躍中。「関西建築界の父」と言われた建築家・武田五一の20年来の「追っかけ」だそう。武田五一愛全開で、京都モダン建築の謎と推理を語ってもらった。
その1 京都市役所に付けられた、4本の「巨大な筆」
まずひとつめは、京都市役所。祇園祭の山鉾も前を通るこの建物、東部分は1927年に、西部分は1931年に完成し、今も現役だ。意匠は市の嘱託職員であった中野進一が担当し、武田五一が監修したとされる。
武田マニアなら知っている<三連アーチ><バルコニー><左右非対称>の武田三要素を満たしているものの、インド様式が過剰であることから、円満字さんは最初、武田五一の作品といわれてもピンとこなかった。が、正面中央上部、小塔をスケッチした時に「武田五一」を発見したという。アーチの上の塔屋を見てみると、4本の付け柱は書道の「毛筆」そっくりだ。
円満字さん「武田五一はしゃれのあるデザインをする人なんです。たとえば代表作である旧山口県庁と旧山口県会議事堂は、上から見たときの形が、右から『山』『口』となっています。そんな人ですから、役所ということで当時文書作成に使われていた毛筆を付けたのではないか。また市役所は、昭和天皇の即位を記念して建てられたもの。これから歴史の1ページを記すという意味を添えたのかもしれません」
京都市民は気づいているのか否か。武田五一は銅像の台座を設計する際には、学者の像であれば、葦ペンなどの筆記具をあしらうなど、その人の属性を語るものをモチーフにしていたらしい。役人のいる市役所だから筆を選んだと、円満字さんは考える。しゃれっ気のある市役所に、用がなくても出かけてみたくなる。
その2 フォーチュンガーデン屋上の塔屋が「45度」傾いている理由
続いては、京都市役所のすぐ北にあるフォーチュンガーデン。
屋上を見ると、正方形のような塔屋が、土台の建物から45度回転し斜めに立っている。いったい何をする場所なのか。なぜデザイン的にさほど効果があるとは思えない、このような傾斜をつけたのか。武田五一は、意図があっても証拠を残さないし、種明かしもしない人。円満字さんもしばらくのあいだは謎が解けず、推理を重ねていたという。
円満字さん「塔の西側に階段があり、バルコニーに手すりが巡らされていたことから、最初に考えたのは『一般人も上がることのできる展望台だったのでは?』。斜めにすることで四方に三角形のスペースができ、テーブルや椅子を置けるようになりますよね」
しかし円満字さんは最終的に、別の事実にたどり着く。それは「塔屋は星空を観るための展望台だった」ということ。当時島津製作所は、ドイツ製と国産の天体望遠鏡を扱っており、ここで大型の望遠鏡を使用していたと考えられる。1メートルほどの望遠鏡をのぞくためには2メートルほどのスペースが必要で、その場所を確保するために塔屋が斜めになったのだそうだ。
円満字さん「ドーム型の屋根は天空のデザイン、ラッパ型の柱は宇宙から発想した『未来』のイメージなのでしょう」
その3 京都大学に集う学徒が見つめる「鯉がいないかざぐるま」
続いては、京都市の中心部から少し離れて京都大学へ。シンボルとして親しまれる時計台を見てみよう。この時計台は1925年に誕生し、2003年創立百周年の記念事業により、外観や内装の雰囲気をそのままに改修された。
これを設計したのが武田五一。彼は京都大学建築学科の初代教授だった。円満字さんによると、武田五一は飾り貼りが好きで、レンガの飾り積みも好んでいたとのこと。この時計台のように鉄筋コンクリート造に変わっても、コンクリートの上にタイルを貼って模様を描いていたそうだ。
円満字さん「これはおそらく鯉のぼりのかざぐるまでしょう。鯉は『登龍門』であるこの学校に集う京大生たちなのかもしれません」
竿の上にかざぐるまだけを描いて、鯉が描かれていないのが乙なところ。その意味はどこにも書き記されておらず、想像を掻き立てる。
円満字さん「タイルやレンガで作られた模様で思い出されるのが、100年ぐらい前に建てられたオランダの建築物。おそらくアムステルダム海運協会の建物だったかと思うのですが、レンガの模様貼りや彫刻など装飾が多いんです。レンガで模様をつくると、レゴブロックのようにゴツゴツしておもしろい。武田五一がこの建物を見たかどうかはわかりませんが、100年くらい前のヨーロッパではそういうものが流行っていて、武田五一も知って、自分もやってみようと思ったのだと考えられます」
武田五一が手がけたなかでは、京都モダン建築祭で公開される同志社女子大学でもレンガの模様積みが見られる。
円満字さん「モダン建築祭つながりでもうひとつ。これは武田五一ではなくヴォーリズですが、今回のモダン建築祭で公開される御幸町教会にも模様貼りがあります。あまり指摘されていませんが、正面2階のアーチを囲むレンガが、実は下まで続く模様になっているんです」
その4 コンパス跡がうっかりそのまま模様になった京都府立図書館
続いては、平安神宮の大鳥居のすぐそばに立つ京都府立図書館。旧館は武田五一の設計で、1909年に竣工。阪神淡路大震災の被害を受けて、旧館の外観のみを残す形で改修され、2001年にリニューアルオープンした。
建築当時の姿が残る建物東側のファサード部分で、円満字さんが見つけたのは、なんと「コンパスの跡」。
円満字さん「武田五一が方眼紙とコンパスで設計することはよく知られています。立面を分析すると線と円がきれいに浮かび上がって、それがよくわかりますね」
「さらにおもしろいことに、窓の上・中・下の中と下のあいだの桟の真ん中に、小さな丸が見えます。これは武田が意図した装飾とは思いにくい。おそらくコンパスの芯を立てる目印でしょう。武田は忙しい人だから、建設中、海外出張などで留守だったりして、工事人がそのまま装飾にしてしまったのかなと思います」
設計者が留守の間に、コンパスの跡を模様にしてしまうことなど、現代ではそうそうないだろう。「当時は似たようなことがほかにもあったんです」と、円満字さんは東本願寺前にある、武田五一設計の蓮型の噴水の図を見せてくれた。
円満字さん「水を受けるプールの円周の4ヶ所に排水口となるコブがあって、図面上では東西南北から45度傾けて配置されるはずでした。噴水をつくったのは白川の石屋さん、おそらく内田鶴之助という石工です。石屋さんは方位を羅盤で見ます。ここでズレが生じたんです。羅盤の北は、真北からわずかに5度ずれていた。これは武田五一の出張中の出来事です」
内田鶴之助といえば腕のある石工。5度のズレはシンプルな間違いではあるものの、武田五一が内田をはじめとする職人たちを尊敬して仕事を任せていたことも推し量れる。当時の建築家と日本建築の職人との信頼関係は、武田五一に限らず厚かったらしい。
その5 仕事の早さが想像される、京大時計台のケルト模様
武田五一とコンパスがしっかりと結びついたところで、話題は再び京大時計台に。武田五一の弟子たちが集まって作ったもので、武田五一らしさがあまりないと、円満字さんは語っていた。しかし、武田的ディテールはあちこちに存在する。
弟子たちが活躍したとしても、やはり玄関まわりは武田五一本人が携わったであろうし、弟子たちが先生に「やってほしい」と言うだろうと、円満字さんは想像する。そう思いながら最近偶然発見したのが、玄関のテラコッタにあるケルト模様なのだとか。図形を分析すると、これも方眼紙とコンパスで描いたことは明らか。
円満字さん「彼はコンパスと方眼紙をいつも持ち歩いていたので、弟子に言われてその場でささっと書いたのではと思います。武田五一が関わった建築は、ざっと数えても320余り。その場で描けるくらい、仕事は早かったはずです。知り合いが彼に梨を送ったら、すぐに『梨ありがとう』と手紙が来たというエピソードは、仕事の早さと律儀さが感じられて好きですね」
武田五一が留学したのは、1901から1902年ごろ、世紀末のロンドン。
円満字さん「まだアールヌーボーの時代であり、そんな空気に浸り、ケルト文様に触れていたことが、帰国して年月が流れても表現に表れてくるのでしょう」
その6 「丸」を愛した人柄を思う、フォーチュンガーデンの扉飾り、そして
武田五一がコンパスを使ってデザインしたと思われる、鋳物製の扉飾りをはじめ、武田らしさにあふれていると円満字さんが教えてくださったのが、さきほどのフォーチュンガーデンの玄関まわり。
玄関の扉には、丸に十字の島津のマークをアレンジした飾り格子が入り、さすがにこんな大事な仕事は、師匠が行うのではないか、円満字さんはそう確信する。原子構造の模式図のように見えるのも、科学測定機器メーカーの島津製作所らしく、最初の市役所のところで円満字さんが語っていた武田五一のしゃれっ気が、おおいに感じられる。
円満字さん「玄関の床には丸い小さなタイル、いわゆる豆タイルが入っていてかわいいんです。タイルについては、国内で生産するようになったものを応援する意味もあったでしょう。武田五一は丸が好きで、学生たちには『品行方正』より『品行円満』になれと言っていたそうです」
さらに床には一部にガラスブロックが入っている。これは、玄関ホールの明るさを取り入れて、地下室を照らすため。玄関内の床にガラスブロックを設けるのは当時珍しかったそうで、武田五一は常識にとらわれない合理的な一面も示している。
円満字さん「武田五一は京都の伝統産業の近代化のために京都にやってきた人で、京都の経済界とのつきあいもあり、ともに近代化についての研究も行っていた。京都電燈株式会社と協力し、大正や昭和のご大典で電飾、今でいうイルミネーションのデザインを手がけ、烏丸通りの街灯もデザインして、電気というものを大切に考えていました。京都の人々が電車を走らせたり、モーターを動かしたりした時代。武田五一は、日本の伝統を踏まえた真新しいデザインを実践していたと言えるでしょう」
円満字さんが語る武田五一の業績は、建築に止まらない。教育者として多くの優れた建築家を輩出したことで「関西建築界の父」と呼ばれる彼は、関西の都市の近代化をデザイン面で牽引した「関西近代化の父」でもある。
円満字さん「島津製作所の工場も、現在の関西電力京都支社も、武田五一の建築物。産業とも結びついて、消すことのできない業績を残しているのです」
円満字さんが公式ツアーでは語りきれない「B面」の話。聞かせていただいたあとは、京都の建築の見方、街の歩き方が、確実に変わっているはずだ。
今回の記事に登場したスポットまとめ
円満字先生に語ってもらった見どころと一緒にチェック!
企画編集:光川貴浩、河井冬穂(合同会社バンクトゥ)
テキスト:大喜多明子
撮影(敬称略):合田直生
画像提供(敬称略):円満字洋介
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