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デヴィッド・ボウイ流「京都の歩き方」

一味違っていたらしい、デヴィッド・ボウイ流「京都の歩き方」【鋤田氏の写真と語りで巡る】

「ポmagazine」編集部
「ポmagazine」編集部

噂の広まり

殿堂入り

京都で暮らした学生時代、「デヴィッド・ボウイが京都に住んでいたらしい」という噂を聞いたことがあった。なかには「表札を見た」という人も。

進化し続ける彼の世界観に、国境を超えて多くの人々が熱狂する、20世紀はそういう時代だった。デヴィッド・ボウイという存在にあまり馴染みがないという方は、こちらからぜひ聴いてみてほしい。

さて、「京都にボウイの家がある」なんて噂が立つぐらいだから、ボウイがかなりの「京都ファン」だったのはよく知られた話だ。

一度は写真を目にした方も多いと思うが、個人的に興味深いのは、ボウイが写っている「場所」である。あの路地に出没したらしいとか、好きだった禅寺があるだとか。京都に一度や二度、来たぐらいでは絶対に辿り着かない場所ばかり……。

「なぜ、ボウイはそんなところにいるんだろうか?」

この疑問を解決するには、写真を撮った本人に聞くのが早いだろうと思い、写真家の鋤田正義(すきたまさよし)さんに相談したところ、インタビューに快諾いただいた。

鋤田さんは、イギー・ポップ、マーク・ボラン、YMOなど世界的なアーティストたちがその才能を認めた人物。40年に渡ってボウイを撮り続け、ボウイ本人には「SUKITAはまったく献身的で素晴らしいアーティストである。私は彼を“マスター(巨匠)”と呼ぶ」と、いわしめたほど。

まことしやかな噂も流れるなか、ファインダー越しにその事実を捉えた鋤田さんに、その実態を聞いてみた。

記事の最後には、「彼が本当に訪れた場所」を詰め込んだオリジナルマップも掲載。デヴィッド・ボウイ流「京都の歩き方」を実践する人は、ぜひ活用してほしい。

この記事の内容

1.あまりにも有名な「古川町商店街」での一枚

2.あのジャケットを再現? 三条通の電話ボックスにて

3.ボウイも気に入っていた「阪急電車」の前で

4.当時の面影が残る貴重なスポット! 画材屋「彩雲堂」

5.定宿の「俵屋旅館」と、指定席の残る蕎麦屋「河道屋」

6.スターの夜はディスコでハジける

7.情報求ム。これはどこの路地?

8.庭園を見つめたボウイが涙を浮かべた正伝寺

9.なぜボウイの京都は渋いのか、噂の真相を聞いてみた

あまりにも有名な「古川町商店街」での一枚

おそらく、京都に住む人にとって一番馴染みのあるボウイの写真はこれではないだろうか。

八幡巻きを買うボウイ
古川町商店街の鰻店「野田屋」を訪れ、名物の「八幡巻き」を買うボウイ。

「京都の商店街」と聞いて、多くの人がまず思い浮かべるのは錦市場だろう。

誤解を恐れずに言うと、はじめての京都観光でここに来ると、来た人も商店街の人もお互いに困惑するかもしれない。それぐらい良い意味で“フツー”の商店街だ。ボウイは鰻店「野田屋」に立ち寄り、看板メニューの「八幡巻き」を食したといわれている。

この写真が京都の人のあいだでもよく知られているのは、野田屋の店先に、鋤田さんが撮影した写真が飾られていたからだ。

野田屋の店先。「デビットボーイ」改め「デビットボゥイ」と、油性マジックで書き直したその文字も、古川町商店街の雰囲気とあいまって独特の愛嬌を放っていた。

鋤田:「ここでは彼が鰻を食べているところも含め、いろいろな角度から撮影しました。飾られていた写真はお礼を兼ねて、お店に一枚差し上げたものですね」

「ボウイの聖地」として多くのファンが足を運んだ店は、2018年に閉店している。八幡巻きを食べることはもう叶わないが、「世界的ロックスターがここで鰻を買ったのか」という衝撃は、色褪せることなく残ってほしい。

あのジャケットを再現? 三条通の電話ボックスにて

次は、古川町商店街から北東に歩いて三条通に。この写真も有名な一枚だろう。

電話ボックスとボウイ
なんの変哲もない電話ボックスも、ボウイが入ればセットの一部に早変わり。

ファンの方であれば、見た瞬間にピンとくるかもしれない。ボウイが1972年に発表したアルバム『ジギー・スターダスト』のレコードジャケットを彷彿とさせるこちらの写真。

鋤田:「東山三条の近くだったかな。歩いていたら、たまたま電話ボックスがあって。『ジギー・スターダスト』は、僕が彼を知って最初に買ったアルバム。ジャケットの裏面に赤い電話ボックスに入ったボウイが写っているんですが、電話ボックスが目に入ってすぐにそれを思い出したんです」

鋤田さんの思惑を感じ取ったように、ボウイは電話ボックスに入り、出来上がったのがこのカットだそう。場所は、地下鉄東山駅東側出口付近、三条通の南側を100mほど西に行ったあたり。

残念ながらこちらの電話ボックスは撤去済み。とはいえ、「このあたりかな?」と想像しながら近くを歩くだけでも楽しい。

ボウイも気に入っていた「阪急電車」の前で

続いて、モノクロ写真なのに、関西人なら阪急電車だとなんとなく気づいてしまうこの写真。

阪急電車とボウイ
車体の旧マークと「梅田」の表示が、阪急電鉄の車両であることを教えてくれる。

「阪急カラー」とも呼ばれるエンジ色の車両の前で、車掌の指差し確認のようなポーズを決めるボウイ。意味なくかっこいい。

阪急電車の公式アカウントでも丁寧に解説されている。いわく「大阪方から4両目の前に立たれています。駅はたぶん河原町駅」らしい。

鋤田:「これは彼と会話しながら、たまたま撮れた一枚。ポーズもなにも指定していないんだけど、彼だと自然とかっこよくなってしまうんです。京都で撮影した写真のなかでは、一番手応えがあったし、彼も気に入っていました」

当時の面影が残る貴重なスポット! 画材屋「彩雲堂」

時の流れと共に変わりゆく場所がある一方で、ほぼ当時のままの姿をとどめているお店も。例えば、姉小路麩屋町にある日本画の画材専門店「彩雲堂」。

彩雲堂でリラックスムードのボウイ
彩雲堂の一角でリラックスムード。

自身のステージ・パフォーマンスには、歌舞伎や能など日本の伝統文化の要素を織り込んだというボウイ。京都画壇をはじめ、多くの画家を支えた老舗画材屋に興味をもったのかもしれない。鋤田さんは、店のご主人と会話するボウイの姿が印象に残っているという。

鋤田:「やりとりしてる表情がとてもいいんですよ。今はお子さんに当たる方が店主を務められているんですが、ファンの方が訪れるので模様替えもあえてしていないそうです」

現在、ギャラリーや美術教室も展開し、地域に開かれた「町の画材屋さん」である彩雲堂。暮らしに溶け込む店の一角で、一体どんな言葉が交わされたのだろう。

彩雲堂のご主人と会話するボウイ

定宿の「俵屋旅館」と、指定席の残る蕎麦屋「河道屋」

彩雲堂からほど近くにあり、ボウイが繰り返し訪れていた場所として有名なのが、いずれも創業300年以上続く「俵屋旅館」と老舗蕎麦屋「晦庵(みそかあん) 河道屋」。

「俵屋旅館」は、ボウイが新婚旅行で宿泊したことでも知られる高級旅館。そう聞くと浴衣でくつろぐボウイの写真に思い当たる方がいるかもしれない。しかし鋤田さんによると「あの写真は、おそらく別の旅館で撮影したもの。浴衣の紋が俵屋さんとはどうも異なるんです。CM撮影のために来日していたから、プライベートとは違うところに泊まっていたのかもしれません」。どこで撮られたものなのか、現在調査中だそうだ。

「晦庵 河道屋」では2階西側の席がボウイの「指定席」であり、数寄屋造の建物から外を眺めながら「天ざる蕎麦」を食べるのが彼の定番だったという。

晦庵 河道屋
今も足を運ぶファンが絶えないそう。一番人気はもちろん「天ざる」。店主の植田さんいわく「夏は冷麦も美味しいんですよ」とのこと。2度目の来店時にはぜひ注文したい。

スターの夜はディスコでハジける

老舗の風情から一転、京都のナイトスポットにも足を運んでいたというボウイ。「夜中まで踊りまくってましたよ」と鋤田さんは笑う。

膝を高く上げて踊るボウイ
膝を高く上げて踊る、20世紀で最も偉大なアーティスト。偶然居合わせたお客さんはどれほど驚いたことだろうか。

来日した80年代といえば、世界中でディスコ・カルチャーが巻き起こった時代。京都も例外ではなく、毎夜多くの若者で賑わっていたという。

鋤田さんいわく、上の写真のダンス・ホールはもう残っていなかったそうだが、ボウイが通った音楽空間には数々の逸話が残っている。現役の老舗ライブハウス「拾得(じっとく)」や「磔磔(たくたく)」で学生バンドのライブを観ていたとか、今は無き河原町三条のディスコ「クラブモダーン」に足繁く通っていたという目撃情報がある。

また、ミュージシャンの平沢進は、銀閣寺のあたりにかつて存在した「サーカスサーカス」というライブハウス(現在は劇団「地点」のアトリエ兼劇場である「アンダースロー」がある)でボウイと会ったことを公言している。

磔磔
酒蔵を改造して生まれた、京都のレジェンド級ライブハウス「磔磔」。こうしたハコの存在が、ボウイが過ごした京都の夜を何倍にも濃密にしたのだろう。

ボウイのような世界的な大物が、京都の小さなハコで踊っている。まるで、京都で学生時代を過ごした自分たちのように、等身大の遊び方となにも変わらない。

こういうところに、京都という町の偉大さがあるように思う。

情報求ム。これはどこの路地?

しかし、当時の京都から大きく様変わりした風景に、鋤田さんでも、特定できない場所があるそうだ。

どこかの路地とボウイ
サングラス姿で町家の壁に身を預けるボウイ。どこかの路地のようだが……。

鋤田:「今になって探しても『ここだ!』って場所が見つからないんですよ。ファンのあいだでは、四条新町の『膏薬辻子(こうやくのずし)』なんじゃないかっていう声もあるけど、微妙に奥の方が違うんですよねえ。通り抜けできる道じゃなくて、行き止まりだったと記憶しています」

京都には、路地や辻子と呼ばれる細い通りが隠れている。なかには地図に載っていない道も。ぶらりと歩いている最中、ふと角を曲がった先に、ボウイを撮影した路地があるかもしれない。壁や道の形状、並ぶ家などに見覚えがある方、ぜひ情報のご提供をお待ちしています。

庭園を見つめたボウイが涙を浮かべた正伝寺

今回、鋤田さんにお借りした写真の多くは、1980年の来日時に撮影されたものだそう。

鋤田さんがジャケット撮影を手がけた『ヒーローズ』を含む“ベルリン三部作”などを経てボウイの名は着実に広がり、日本の焼酎メーカー・宝焼酎(現・宝ホールディングス)からボウイにCMのオファーがあったという。

1980年に日本で放送された宝焼酎『純』のCM。復元したアーカイブ映像から、新たにミュージックビデオなどを独自に制作している「Nacho Video」が手掛けたもの。

鋤田:「CM撮影のためにボウイが来日したのが、1980年の4月頃。春なんですけど、撮影がシャツ一枚ですごい寒かったって。彼、寒がりなんですよ」

舞台となったのは、北区の西賀茂にある正伝寺。サツキの刈込みを配置した枯山水庭園で知られている。

ボウイを起用した宝ホールディングスの元会長の細見吉郎さんが、日本経済新聞の取材に対して「学生時代から25年間京都で暮らしていたが、この寺の存在は知らなかった」と答えているように、今でもメジャーとはいえない観光客の少ない寺だ。

鋤田:「僕はこのCMには関わってないんだけど、ボウイは京都に1週間ほど滞在していたみたいで。1日だけ空いた日に、この街を舞台に撮ってほしいと撮影の依頼がありました。ボウイと京都の写真は、その時のものが広まったんです」

なぜボウイの京都は渋いのか、噂の真相を聞いてみた

鋤田:「外国のタレントは大体、いかにも日本らしいところ、赤い鳥居の前だとか、そういうところで撮影するんです。でも彼の場合は少し違っていますよね」

烏丸駅で切符を購入するボウイ
阪急京都線の主要駅のひとつ、烏丸駅で切符を購入するボウイ。「京都の日常」にボウイが佇む光景は、不思議な魅力で私たちの目を惹きつける。

ロケーションとなったのは商店街や路地裏など、街の人々が暮らす「普段着の京都」。さらに当日、鋤田さんとスタイリストの「ヤッコ」こと高橋靖子さんを乗せて車を走らせたのは、なんとボウイ本人だったという。

鋤田:「普通は逆ですよね。彼にはそういう気さくなところがありました。この撮影以前にも、何度も京都を訪れているから、観光地ではない場所にも頻繁に足を運んでいたんじゃないかな。日本公演で大阪に訪れた時も、大阪には泊まらず、京都に来るぐらいでしたから」

自らハンドルを握って撮影クルーの案内役を買って出たボウイ。訪れている場所を繋いでいくと、地元民も顔負けの「京都ツウ」だったといえるかもしれない。

「京都・九条山に彼の家があるらしい」という噂も、結論から言ってしまえば、住んでいたのはボウイとは別の「デヴィッドさん」であり、この噂はほぼ100%間違いだ。しかし、不思議な巡り合わせはあるもので、もう一人の「デヴィッドさん」とボウイのあいだには親しい交友関係があったという。

鋤田:「『デヴィッドさん』はアメリカ出身の方。外交官だったなんて噂もありますね。京都には長く住んでいて、お互い英語圏ってこともあり、ボウイと仲良くなったんじゃないでしょうか。彼の元を何度も訪れていたようです」

九条山にあった「桃源洞」と名付けられた大豪邸は解体され、現在、敷地を囲う黒塀のみが残っている。

ボウイの11枚目のアルバム『ヒーローズ』のジャケット
世界的ヒットとなったデヴィッド・ボウイの11枚目のアルバム『ヒーローズ』のジャケットに起用された一枚(1977年)。この撮影の信頼関係があったからこそ、京都での撮影が実現した。

自らを変革し続けるボウイの姿勢は、音楽雑誌などで「カメレオン」とも評された。40年間にわたってボウイの多面的な魅力をカメラに収め続けた鋤田さんの目に、彼の姿はどのように映っていたのだろうか。

「目まぐるしく見える変化の根底には常に、アートに対する強い思いがあったのだと思います。『タレント』ではなく『アーティスト』。常に圧倒的なエネルギーとこだわりもって戦い続けた人でした」

世界に新鮮な驚きをもたらし続けたデヴィッド・ボウイ。その感性が「一味違った京都」の姿を私たちに提示してくれたのかもしれない。彼の歩いた足跡は、ボウイのファンでなくとも、まだ見ぬ京都を知るのに十分な旅になるはずだろう。

記事に登場したスポットを結集した、オリジナルマップはこちら。

企画編集:光川貴浩、河井冬穂(合同会社バンクトゥ)
写真提供:鋤田正義