2022.3.18
屋台を専門にリサーチ・制作。アジアを旅した“屋台研究家”が京都にいるらしい
噂の広まり
世の中には色々な肩書きで活動する人がいる。最近京都で出会ったのが屋台の研究・制作を行う、“屋台研究家”の下寺孝典さん。下寺さんは「屋台」を専門に「TAIYA(タイヤ)」という屋号のもと、屋台のリサーチから設計、デザイン、制作を行う。
近年では、京都で開催された「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」や「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭」などのアートイベント、藤井大丸で開催された「くるり」のポップアップストアなどで屋台を手がけ、そのユニークな存在感は訪れた人の目を大いに楽しませた。さらに、昨年開催された「TOKYO MIDTOWN AWARD 2021 アートコンペ」では、ユニットで制作した紙芝居型の屋台と遊具の作品がグランプリを受賞するなど、その活躍は関西にとどまらない。
現在は、京都に居住しながら大阪との二拠点で活動を行う下寺さん。屋台研究家としての活動内容や屋台の魅力、京都の屋台と路上文化まで、アツい屋台トークをお楽しみください。
<プロフィール>
下寺孝典(しもでら・たかのり)
屋台研究家/TAIYA代表。京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)大学院建築・ランドスケープ領域修士課程修了。在学中からアジア諸国の屋台研究を行い、大学院修了後、屋台研究家としての活動を開始。自身が立ち上げた「TAIYA」の代表として、屋台の設計からデザイン、制作を手がける。
https://www.taiya.asia/
呉、京都、東南アジア。各地の路上で見た景色
下寺さんが屋台研究家として活動をはじめて3年。何より気になるのは、屋台を専門に活動するようになったきっかけ。
広島県の呉という造船の町で育った下寺さん。建築を5年間勉強したのち、より表現に近い部分を学びたいと京都芸術大学(旧京都造形芸術大学)へ編入。京都での生活がはじまった。
「田舎から来た僕にご近所付き合いがあるわけもなく、最初は寂しい思いをしました。故郷では当たり前だった、近所の顔が見える付き合いを都市部でも生み出せないか。そんな思いから卒業制作では道をテーマに、住居と住居のあいだにできるすきまを共有スペースとして活用する町の仕組みを提案しました」
自身の体験から生まれた路上への興味。とはいえ町全体を変えるのはあまりに規模が大きく、実現も難しい。そんな思いを抱えるなかで、路上文化が発達している東南アジアの国々を巡ることに。
「あてもなく路上を歩いて、ひたすら写真を撮りました。帰国後、全部で3、4千枚ほどの写真を印刷し、分類して気づいたのが、自身が屋台に強く興味をひかれているということでした」
東南アジアの国々は、熱帯気候で虫が多く、水回りの衛生面からかつては自宅にキッチンがないこともしばしば。それゆえ、屋台が生活の一部として根付いてきたという背景がある。家や建物を飛び出して、路上ににぎわいをもたらす屋台の存在に強くひかれ、下寺さんの屋台研究がはじまった。
「各国の屋台を求めて、ベトナム、バンコク、チェンマイ、ラオス、ミャンマー、カンボジア、香港、上海、台湾……。バックパックひとつでとにかくいろんな国に行きました。これらが僕の屋台との出合いですが、思い返すと、僕が育った呉もおばあちゃんがリヤカーでお魚やお豆腐を売っていたり、小さいころに塾の帰りに屋台でラーメンを食べたりといった経験をしていて。昔見た景色や経験が大きく影響していることに、あとになって気がつきました」
路上からはじまるボトムアップの町づくり
10か国以上にもおよぶアジア各国のリサーチは、驚きの連続だったという。
「都市の空いているスペースをとにかく柔軟に活用しているんです。たとえば、道の空いた場所に椅子やベンチを並べて即席の休憩所にしたり、人の家の壁面にプロジェクターで映像を投影して路上映画館にしたり。タクシーに乗っていると、信号待ちにおばちゃんが飲み物を売りに来ることもありました。もう勝手に来るドライブスルーというか(笑)」
そうした研究を続けるなかで見えてきたのが、屋台をつくる人、売る人、使う人、修理する人によって回る「屋台の生態系」だった。これまでその造形など屋台単体についての研究は他でもなされてきたが、こうした屋台を取り巻くサイクルについては例がなく、下寺さんのリサーチにおける大きな成果だったという。
こうした気づきをきっかけに、タイのバンコクにある屋台工場で2週間修行を行った下寺さん。そこで見えてきたのは、屋台を取り巻く暮らしそのものだった。
「毎朝ニワトリの世話をして、屋台をつくって、町の人が買いに来て、夕方ジュース売りのおばちゃんが来ると休憩の合図みたいな。ただ技術を学ぶだけではなく、そこではどういう暮らしをしているのか、どういう人とのつながりがあるかなどがリアルに体感できました。人類学的なところも含めて気づきが多かったですね」
決まった土地を必要としない屋台は、ルールや定義が曖昧で、地域や文化が違えば形や素材も大きく変わる。その自由さも大きな魅力のひとつだろう。
「アジア各国やそのうちのひとつの国のなかでも形が本当に多様で、ここから発展したものもたくさんあります。ただ日本の屋台とは大きな違いもあります。日本の屋台は居酒屋スタイルなんです。日本では屋台が出せるスペースが厳しく決められているので、屋根の下におさまるように客席を並べて、そこでお客さんが飲食をする。一方、東南アジアでは、屋台自体にもてなす機能はなく、あくまでキッチンとしての役割にすぎない。客席は、どんどん屋台の前に広がっていくんです」
屋台をはじめとする路上の使い方には、国の法律やルールによる規制がつきもの。近年はとりしまりにより、日本はもちろん、海外でも屋台の減少が顕著だという。
「都市の発展はもちろん良いことですが、あらゆる整備によってクリーンになると、その町らしさが抜けていくような気がします。町のつくられ方というのがどうしてもトップダウンなんですよね。その町らしさというのは、やはり屋台が表しているのかなと僕は思います。あの小さな建築ひとつに、都市の生活や文化、法律などすべてが凝縮されている。ボトムアップというか、屋台や路上から町がつくれたらというのを常々思っています」
路上から都市をつくる。こうした思いが下寺さん自身の活動につながっている。
イベント什器からトラック型屋台まで
2019年、活動の屋号として立ち上げた「TAIYA」。近年はプロジェクトごとにチームを編成し、屋台のリサーチ、設計、デザイン、制作を行っている。京都に居住しながら、大阪・北加賀屋にあるシェアスタジオ「Super Studio Kitakagaya」にも所属する下寺さん。工具と簡単なスキルさえあればどこにでもつくれるという屋台の特性もあり、全国を渡り歩くこともしばしば。
また、新型コロナウィルスの影響で、海外でのリサーチが困難になったことからはじまった「屋台リサーチプロジェクト」では、改めて日本の屋台をリサーチ対象とした。
「僕の研究は東南アジアからはじまったので、実はあんまり日本の屋台のことを知らないなと気づいたんです。そこでまずは日本最大の屋台街・博多からリサーチをはじめることにしました。今後は僕の故郷である呉とか、久留米、高知など西日本の屋台を巡って地域ごとの特性を見つけたいですね」
こうしたリサーチを続ける傍ら、昨年は制作にも力を入れた。京都で下寺さんが手がけた屋台を目にした人もいるのではないだろうか。
使用される場所やテーマに合ったこれらの屋台たちは、一体どのようなアプローチで生まれてきたのだろう。
「その土地の歴史を調べたり、イベントであればコンセプトから解釈したり、アプローチは本当にいろいろです。ただ僕の中でゆずれないのは、屋台に余白を残すこと。これはバンコクでの発見なんですが、向こうの屋台は、屋根と柱に天板が一枚あるだけの本当にシンプルな構造で、ユーザーの使いたいようにカスタムできるんです。そういう余白があることは、いろんな商売を行う屋台の絶対的な条件だと感じています。屋台の定義ってけっこう曖昧なんですけど、僕としては、移動できるタイヤがついて、柱があり屋根がある、そこで商いをする行為自体が屋台だと思っています」
ひとつの使い方に限定されず、使う人によって変化していく屋台。実際、下寺さん自身も予想していなかった使い方をされることもあるのだとか。
特に印象的だったというのが、トラック型の移動式屋台「100BANCH BOX SQUARE」の制作。若いクリエイターや起業家、スタートアップ企業の支援を行う施設「100BANCH(ひゃくばんち)」の取り組みのひとつで、日本各地をトラック屋台で移動し、さまざまな企画やイベントを行った。
「『100BANCH BOX SQUARE』では、ひとつのモジュールを組み合わせることで机になったり、屋台になったり、変化するポップアップの仕組みをつくりました。毎回いろんな人が参加するので、プロジェクトごとに屋台の使い方がまったく変わるんですよね。使い手によって、こうしたほうが使いやすいとか、僕らが想定していなかった使い方も出てきて。そうしたフィードバックをもらえたのはこれまでにない経験でした」
まさに、移動、解体ができる屋台ならではのプロジェクト。こうした活動を通じて、下寺さんは屋台の魅力についてこう語る。
「やっぱり場所にとらわれないところ。そして何より屋台は常時あるものではないので、昼間なんにもなかった場所に突然現れて、町の風景をガラッと変えてしまうところが魅力だと思います」。
京都の「巷」で思うこと
屋台制作を通じて、「巷(ちまた)」の復権を目標に掲げる下寺さん。人が集まることで生まれるにぎやかな通りや町を意味する巷。学生時代から京都で過ごす下寺さんに、京都の「巷」について聞いてみた。
「京都って、むかし油小路で油を売っていたとか、通りの名前が表すように、商いが盛んなにぎわいのある路上だったんだと思います。今はそれがどんどん見えにくくなっていますが。とはいえ近年は、京都にいろんなクリエイターがいて、ロームシアターのローム・スクエアとかKYOTOGRAPHIE、KYOTO EXPERIMENTなどのアートイベントをはじめとするあらゆる交流の場があって、路上のにぎわいをつくっているように思います。あと蚤の市とかも他都市と比べて盛んですよね」
ちなみに京都の屋台について聞いてみると、こんなエピソードも。
「京都の屋台でいうと、竹村商店さんとか屋台いなばさんとかが最近盛り上がっていますよね。あと、今はもうないんですけど、僕が学生の時にすごく好きだったのは、吉田神社の前に出る『せせり』という屋台。冬はおでんの湯気がもくもくと上がっていて、大学帰りによく行っていました。やっぱりそういう場所って隣の人とも自然に仲良くなるので一杯奢ってもらったりして。これぞ屋台の醍醐味という感じです」
呉、京都、東南アジア……あらゆる路上での経験を経て、下寺さんの次なる活動はどのようなものなのだろうか。
「昨年はありがたいことにたくさん屋台をつくらせていただきました。制作は今年も変わらず続けたいです。新たな目標としては、東南アジアでみた屋台の流通システムを生かし、屋台をレンタルできるような仕組みをつくりたいと思っています。屋台の流通は、日本では意外と見えていない部分だったので、気軽に屋台をはじめられるような環境を生み出すことで、もっと路上ににぎわいをつくりたい。それに屋台は家賃や土地代がいらないので、最初の商いとして案外ハードルが低いんじゃないかと。こうした路上での活動が増えると、町の景色も次第に変わるんじゃないかと思っています」
多様でどこまでも自由な屋台の魅力にとりつかれた下寺さんの取り組みは、屋台そのものにとどまらず、流通システムや新しい商いのあり方までもを提案する。アジアを旅した屋台研究家が路上からはじめる町づくり。その町らしさを生み出すローカルな取り組みはまだはじまったばかり。
企画編集:光川貴浩、河井冬穂、早志祐美(合同会社バンクトゥ)
写真提供(敬称略):下寺孝典、おおさか創造千島財団(撮影:増田好郎)、中谷利明、KYOTO GRAPHIE(撮影:山神美琴)、KYOTO EXPERIEMNT(撮影:守屋友樹)